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2020年埼生研基調提案 登校拒否・不登校問題から学校観・指導観を問う  ― 集団づくりの脱構築とケア・コミュニティの形成Ⅱ -

埼生研基調2020.8/30

登校拒否・不登校問題から学校観・指導観を問う

 ― 集団づくりの脱構築とケア・コミュニティの形成Ⅱ -

ひまわりサークル 安島文男

はじめに

昨年(2019年)の基調「集団づくりの脱構築とケア・コミュニテイの形成ーいじめによる自殺問題と指導のプログラミングー」ではいじめによる自殺を人権侵害の最たる問題として取りあげ、集団づくりの脱構築を検討してきた。

いじめ問題を集団づくりの主要なテーマとし、4月当初から班づくり・リーダーの指導・討議づくりの課題とし自治集団を形成していくという構想である。いじめがあっても認知せず、問題化を回避しようとする学校環境にいじめ発生の必然性を課題とした指導構想の具体化である。

いじめ・迫害が顕在化してからの指導は困難であり、とりわけ被害者のトラウマのリカバリは難しく長い時間が必要となり、しかも学校や行政に修復の責任を負うシステムも意志もないだけに発生前の指導構想が求められている。また、3階から飛び降りるよう強要する自殺練習や自殺強迫という行為はこれまでとは異質な暴力状況であり、親密さをよそおう関係性のなかの生存権侵害事態である。この解明と指導の具体化もまたいじめ・迫害をプログラミングする課題であった。

今基調の課題である登校拒否・不登校問題の人権侵害は教育行政・学校制度による「学習と発達の権利」の剥奪であり、その深刻さは不登校を個人の問題、家族の病理に押し込めることで正当化していることにある。登校拒否・不登校は個人・家族の問題ではなく差別と競争の教育システムによる排除であることを問題化することで制度に抗する存在としての意識化と共同が自立につながることを明らかにする。 

集団づくりには半世紀以上にわたって蓄積し開発してきた多くのメッソドとスキルがあるがテキストは絶版となり、その集団観・自立観も含め解体されスクラップされかかっている。不登校の人権侵害を問題化するケアの倫理により、修復的正義の具体化とケア・コミュニティの形成に集団づくりの方法論を脱構築することの可能性も追求したい。

 

 不登校問題の困難さ 

校内暴力に翻弄されていた1980年代前後、すでに不登校問題は深刻な様相を呈していたが主要な実践課題となるのは校内暴力の鎮静後である。登校督促活動を学級で立案・決議し、集団の課題としてきた実践は不登校の子の拒絶、沈黙、閉じこもりに無力さを露呈した。 行動力のある子をリーダーとし、訪問を繰り返し、家を出られるよう計画的に取り組んだ実践の多くがである。

当時の組織的活動能力偏重の子ども分析に不登校の子は存在せず、不登校の葛藤を読み解く視点もケアもなかった。ケアのない指導論は不登校を適応不足として自己責任化し、不登校児童生徒自身が自らを貶めざるを得ない環境に追いやる加害性に無知であったといえる。

多くの実践が明らかにした課題は不登校の類型化も一般化も表層的であり、不登校の子の誰一人として同じ状況になく、一人ひとりが異なるという当たり前の、しかし厳然たる事実であった。そして葛藤を読み解けないことにはコミュニケーションをとれず、関係性を育めず、不登校の世界は何一つ見えてこないということであった。 不登校の世界は葛藤を語る言葉を奪われ、閉じこもることでしか自分を守れない世界となっていたが、ナラティブ(物語)を紡ぐ関係性の回復によって言葉を回復し離脱の可能性が開かれたのではないか。

しかし、精神科医やカウンセラーと異なり教師がナラティブの世界を構築するのは容易ではない。メソッドもスキルもない。さらに困難なのは不登校状況が現行の学校制度を否定する問題を突き出しているにもかかわらず、教師という存在は不登校をつくりだす競争の教育システムを支える制度の成員であることによる。

その矛盾と分断が教師をスポイルし、実践を困難にしている。それに加え行政はあらゆる媒体をとおして不登校児童生徒を公的な制度の枠外に追いやり、支援の形式化を容認している。

2016年の「不登校に関する調査研究協力者会議」報告では重点方策として掲げた「多様な教育機会の確保」「教育支援センタの整備」の予算的な裏付けは不明確である。また、「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」では不登校児童生徒の定義として「相当の期間学校を欠席する児童生徒であって、学校における集団の生活に関する心理的な負担その他の事由のために就学が困難である状況として文部科学大臣が定める状況にあると認められるものをいう」(総則第2条)と改めて登校拒否・不登校の自己責任を示唆している。

 

 不登校観の転換

不登校問題は登校したくとも登校できないという問題ではない。登校しなければ

ならないのに登校できないという問題でもない。無論、子どもの問題でもなく家族の病理でもない。学校が登校を拒否し排除している問題である。

めまい・頭痛・腹痛・無気力等の心気的症状や不安症状・強迫症状、ひきこもり・怠学傾向・昼夜逆転の生活・家庭内暴力等は全て学校制度の排除により派生した症状である。決して不登校の子の属性ではない。

1992年「学校不適応対策調査研究協力者会議」報告は「登校拒否はどの子にも起こりえるものである」とし特別視を変更した。最近では不登校の基本的な考え方として「不登校は、取り巻く環境によっては、どの児童生徒にも起こり得るものとして捉え、不登校というだけで問題行動であると受け取られないよう配慮し、児童生徒の最善の利益を最優先に支援を行うことが重要である」(「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する基本指針」2018年3月31日)とも述べている。

しかし、どの子も不登校になる可能性があるということは、今日の学校制度はどの子も不登校にするシステムであるという異常な言明にほかならない。

学校と教育制度を問題化することのない適応指導は学校への復帰を自立とし、不登校に内在するプロテストを否認することになる。

登校拒否・不登校問題に地域をあげて取り組んできた高根沢町長の次の発言は不登校児童生徒にも親にも共感を持って受けとめられている。「『適応指導教室』、この名称が私は大嫌いです。この名称に文部科学省の誤りがすべて表れています。学校にいけないのは現実に適応できない悪い子だから、適応できるように指導して学校に戻してあげる、という大人の傲慢さがプンプン臭う名称です。」(ブックレット「登校拒否・不登校問題のこれからを考えよう」全国登校拒否・不登校問題研究会発行 2017年)

不登校の子の学校に行きたいという能動性にある発達の課題、自立の契機はこのプロテストを支えるピアグループにあるのだが、それに応答し実現する指導構想は行政にない。不登校が減少せず、社会的な引きこもりにつながる自立の否認となっているのが現実である。

ここから登校できるようになることが自立ではなく、不登校それ自体を自立ととらえるラジカルな不登校観が提起されてきている。不登校の日常生活は社会の支配的な価値観による心理的虐待を受けているのと同様であり、それに抗することで生じる葛藤を生き抜いていく価値観の形成が求められる。不登校それ自体を自立ととらえることによって学校制度による排除にプロテストし、存在の承認をうながし、セルフエスティマを育み、自立を切り開く。

不登校問題にかかわる関係者はその困難さに寄りそい、不登校の子の「見かた、考え方、感じ方」を尊重し、学び、共同していくという姿勢が基本となる。なぜ、不登校なのかを明らかにすることは学校に行くことの意味、不登校の子として教室に存在する意味を問うこととなる。

しかし、こうした不登校観から学校制度に対しプロテストする行動をとらせることは間違いであり、そのように示唆し導くことも自立の阻害以外の何ものでもない。課題は心身症として現象していることへのケアにある。孤立を恐れながら親密さを回避し、承認を求めながら他者の評価を拒否し、関係性を希求しながら対人恐怖におののき、将来への焦燥感にさいなまされるなどの心身症である。

このケアには一人ひとりの個別具体性を尊重するカウンセラー・養護教諭精神科医との共同が不可欠となるが、教師にはここに導く困難な役割がある。場合によっては教師を敵視し、訪問を拒み、他者の介入を嫌い、コンタクトさえ取れない事態に信頼関係を育んでいく試みである。教師個人の努力では不可能である。ここに自立の根拠地となるピアグループの形成が集団づくりの課題となり、このグループによる学校的な価値観を対象化する活動が不登校状況を切り開く実践となる。

 

3 子どもの権利条約文科省の方針

 子どもの権利条約は全ての人権の基本である。2019年に子どもの権利条約は採択されて30年、批准されて25年を迎えた。この短くない年月を経ても権利条約は学校教育・教育行政の指標とならず、社会の子ども観、保護・指導観として定着してこなかった。

 条約は子どもの最善の利益を最優先し、権利主体としての意見表明権を尊重し、子どもの保護・指導も子どもの人間の尊重、及び能力の発達と一致する方法で行わなければならないと定めている。しかも条約は休息・余暇、そして遊びも子どもの発達の権利(31条)としてその保障を求めている。

しかし現実は不登校の6割近くが90日以上の欠席、いじめ件数が54万、自殺数は332人(2018年度)となり、底の知れない危機的状況を呈している。20日以上の欠席であれば20万人をこえるという数値もある。休息し遊ぶどころか学習権も発達権も侵害され、生存権さえ脅かされている状況にある。

コロナ禍では公園で遊んでいる兄弟を住民が警察に通報したり、首都圏をワークエリアとする保護者の子どもが登校を制限されるなどの信じられない事態が勃発した。

 昨年の基調ではいじめによる自殺問題を人権侵害の最たる問題として取りあげ、具体的な指導構想を提起した。その作成過程で集団づくりとは「人権の確立と尊重をテーマとしたケアコミュニティの形成を目的とし、ケアの倫理感にもとづくヴァルネラブルな人間観と依存関係による自律観によって修復的正義を実現していく教育的営みである」と定義した。民主的な子ども集団の自治の内実は人権の確立と尊重にあるとのラジカルな、しかし子どもの権利条約からすれば当然すぎる提起である。

 しかし、不登校問題は個人化され、これ以上ないほどに貶められている。適応障害、集団不適応、学校嫌い、学校恐怖症、コミュニケーション能力不足、身体の発育・学力の遅滞、情緒的な不安定、無気力、怠学、心身症等々すべてを個人に帰し、家族の病理として制度の問題化を阻んでいる。

不登校を最初に発見したアメリカにおいても怠学とみなしてきた歴史がある。しかし、それでは解明できない不登校状況から学校恐怖症説や乳幼児期に子どもが母親から分離、固体化していくときの分離不安説がとなえられ、過保護と拒否感情、相互依存と不安をはらんだ共依存関係が論究されてきた。家族に原因があるという今日でも根強くある偏見であり誤解である。

最近では小1プロブレムや中1ギャップ、転校時の不適応も要因として挙げられているが問題を個人化していることに注意が必要である。むしろコミュニケーションを取ろうとせず、連絡の事務化、訪問の形式化、家族へのケアを学校全体の課題とせず放棄していることのほうが問題である。

文科省はこうした事態に「不登校児童生徒に対しては、学校全体で支援を行うことが必要であり、校長のリーダーシップの下、学校や教員がスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー等の専門スタッフと不登校児童生徒に対する支援等について連携・分担する」と「チーム学校」体制の整備を打ち出した。

しかし、選択教科の導入や新しい学力観、総合学習同様すでに形骸化もみられる。56回全生研大会の分科会(2014年)で「チーム学校」を立ち上げた学校の報告があった。その学校では不登校児への訪問を毎日行うことを「チーム学校」で計画し、担任にはその計画にもとづいて訪問することを日課とした。個々の不登校状況も家族の都合も考慮されず一斉に訪問し、報告は「訪問してきました」だけだという。なかには訪問を拒否され、インターフォンを押すことのみを繰り返してきたという。  

葛藤に寄り添い、家族の苦悩に共感する教師は孤立し、支援放棄にまで至っているのが不登校問題である。そうした学校状況を告発しているという指摘は数十年前になされてきたにもかかわらずである。

 

 不登校の多様性

登校拒否・不登校問題に精神科医の治療やカウンセリングに学びながらもそれとは異なる教育実践としての指導構想を立案することが求められている。精神科医やカウンセラーのアドバイスは受容する、共感する、理解する、登校刺激を加えない、生活リズムを崩さない、訪問は登校時間を避ける、課題は出さない、信頼関係を築く、親は親としての生活を大事にする等々多様に提起されている。

しかし、実践家は目の前で起きていることに困惑し、翻弄されつつも受け止め、取り組まざるを得ない。私を含め多くの実践家はそうであろうと思う。

「母子家庭、生活保護の家庭にあった女子の進路希望は商業高校。卒業後は働きたいという進路を疑うことなく了承し、学校推薦をとるなどできる限り支援した。しかし、推薦決定後欠席がちとなり、面接当日には玄関にうずくまり受験を放棄。以後不登校となる。商業高校を希望したのは病弱の母親の願いを実現したかったからであり、母親の気持ちを全てとする生き方に疲れたと語り、推薦扱いにまでされたときの絶望感を察知できなかった先生には失望したと面罵された」

 「不登校傾向で欠席の多い男子と母親と進路の三者面談を行う。ところが母親に向かって『アンタ、死んだほうがいいよ』『アンタ、死ねば』『自殺しなよ』と言い続ける。母親は能面のような無表情。私は何一つ言葉を発することができず、面談を進められなかった。対話の糸口さえ見出せなかった。

 それでも毎年のように担任せざるを得ないほど多くの子が不登校であった。

「廃屋のような異臭のするアパート8畳に祖父母・両親・子ども3人の家族。長女は小学校から不登校。訪問しても応答はない」

「訪問を拒否し、一切連絡をとらないでほしいという家庭」

「給食を食べられず、その時間になると早退してしまう子」

「保健室に登校し、教室に入れない、体育の授業を拒否し教室から出ようとしない、授業時間が終了してから登校してくる」子たち。

「ウイクリーマンションで生活する女子グループ」

「おとなしいひ弱な父子家庭に入りびたりになり、自宅にもどらない男子」

「宗教に入れ込み、登校すると勧誘活動をする男子」

「放課後共に過ごしてくれることを条件に、友だちにお金をわたしていた不登校の女子」

課題を理解できない、葛藤を読み開けないとしても取り組まざるを得なかったのは暴力問題である。緘黙で給食を食べられず不登校傾向にあった女子の父親に対する家庭内暴力、放課後に登校してきてはクラスメートに執拗に暴力を振るう男子、さらに相談室で暴力を振るい、壁を穴だらけにし、相談員とテニスをすればラケットを叩き割る男子の出現があった。30代のさわやか相談員に涙をうかべながら「もう無理です」と訴える暴力問題は内閉していた暴力が外へ噴出してきたのではないかと感じさせられた。

不登校児童生徒の暴力行使を弱さの現れとしての暴力、弱者の重要な他者への暴力、無力感による暴力と理解してきたが、そこに至らしめる存在の否認、孤立無援の不安、自己否定を生きる過酷さへの理解がどれほどあったのかが問われていた。

暴力問題に翻弄される一方、不登校生徒の繊細で静かな世界もあった。寡黙な男子とゲームの解読本をテキストに読み合わせをし、理解も操作もできない私に長時間付き合い、丁寧に教えてくれ、訪問を心待ちにしてくれた男子との交流である。2人して書店や図書館に行き、マックやフアミレスで読書し、映画を見に行くこともあった。登校督促など全くせず、学校の話題も避けようとする私の異常さに気づいて接してくれていたのかもしれない。私はこの男子との交流から不登校の子の感じ方・考え方に接し、ひそかに私の哲学者・思想家として尊重するようになった。

 

 不登校の子の葛藤と権利行使

読み開くことは不登校の子の葛藤である。理解がすすむにつれ不登校の子の語る世界は広がってくる。

不登校児は教師の訪問を拒否しつつ、期待もしている。

・教師を敵視しつつヘルプを切望している。

・登校できないからこそ人一倍学校に行かなくてはならないと強迫的観念にとらわれ、学校がすべてではないとアドバイスされるほど逆に学校にとらわれる傾向にある。

・自分の能力に失望し、自尊心を傷つけ、基本的信頼感を損壊している。

・「大人になっても引きこもりの生活となるのではないか」と不安・焦燥感に苛まされている。

そして、ヘルプを求めている。

「責めないでほしい」

「一人にしないでほしい」

「見捨てないでほしい」

「支えてほしい」

「安心させてほしい」

「援助してほしい」

「苦しいこと、悩んでいることに応答してほしい」

「自分を理解してほしい」

「自分で自分が理解できない不安に応えてほしい」

「やることがない、意欲がない、何もする気になれない、何とかしてほしい」

「親の顔を見たくない、話しをしたくない、どうしたらいいか」

「ゲームばかりしている、昼夜逆転の生活となっている、どうしたらいいか」

不登校の問題と矛盾は社会的・集団的に解決されないことによって個人に凝縮し心身症として滲出している。ヘルプに応答する他者の不在を現実化している社会は孤立無援感を深め心身症を深刻化している。不安とはその言語化を阻んでいる状況であり、不信とは応答を期待できない失望感にほかならない。

他者に依存しヘルプを求めることを生存の条件とするケアは葛藤を語ることができるグループを形成することで当事者性を回復していく。そして不安を表出し、それに応答してくれる関係性のなかで自律に踏み出す。当事者主権はケアの倫理にもとづき依存による自立のソシアルキャピタルの共同化を社会と学校の責務とすることで新たな共同性形成を見とおす。

 

「どうして不登校になったのか」の問い

この問いは不登校の子に向ける問いではなく、親と教師の学びの共同を構築する問いである。不登校の要因としていじめ、差別、無視、低学力、友だち関係、家族関係、貧困、ネグレクト、虐待等々あらゆることが浮かび上がってくるが特定することが目的ではない。「なぜ不登校なのか」の解明も急がない。明らかにできたとしても一面的であり、不登校を容認するフイクションの可能性もある。だからといって否定もしない。現状で自分を支えるよりどころとなっているからである。

さらに学力、部活、運動能力、グループ形成能力、要求、希望、興味関心、コミック、ゲーム等も含め子どもの生活史を語ってもらう。親が物語るほどに不登校の現実は再構成され、課題は外在化されていく。ここでいう外在化とは子どもの不登校を自分の責任として苦悩している葛藤を対象化し、不登校問題それ自体を共同の課題として分析・研究し、自己責任観から離脱していくことである。

現在、不登校児童生徒の理解に「教育支援シート」の作成が行政によって進められている。シートに関与するのは学校、保護者、教育委員会、教育支援センター、医療機関児童相談所、警察などで、子どもが30日以上欠席した段階で学級担任、養護教諭スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどにより作成する。

「チーム学校」の立ち上げであり、東京では「個別適応計画書」、大阪では「長期欠席ISPシート」、横浜市は「登校支援アプローチプラン」として具体化されている。横浜市は教員を加配しているが、過重労働にある学校場で活用されるかどうか疑問である。不正確な記録、不利益の記載、情報の漏洩、本人と家族への公開の透明性等危惧されることは多い。

特に非言語的コミュニケーションによってこそ他者認識は深まり、他者によって自己は承認され、当事者性を尊重されるものだけに、「シート」は不登校の理解とケアのひとつの資料であり、親・教師は不登校の子の学校的な価値観と対立する世界を生きている葛藤を理解できない他者としての限界に自覚的であることが求められる。

 

7  具体的な取り組み ―集団づくりの課題―

先に精神科医の治療やカウンセリングとは異なる教育実践としての指導構想はあるのかという課題を提起したが、それはどのような登校拒否・不登校問題にも応えることのできる指導構想ではなく個別具体的なそれとしてあるのが基本と考えている。

登校拒否・不登校問題をどうとらえるのか、集団的な課題の共有のための活動と指導、保護者との共同、その話し合いの持ち方等のすぐれた実践は集団づくりに多くあり、導き出せるセオリーは集団の教育力を信頼し、そこに依拠して実践を構想すること、同時に同じ状況を生きる彼/彼女たち自身が立ち向かわなくてはならない課題だということである。

 

集団の課題とするということは個人を変えることを目的とするのではなく集団を変えることを主な目的とするということである。具体的な事例をもとにしながら集団づくりのメソッドとスキルとして提起したい。最初の課題はリーダーづくりと討議づくりとなるが、その具体化はリーダーサークルの編成からスタートする。

  

  • 出会いの準備とリーダーサークルの編成

不登校の子の不安、葛藤、強迫観念は心理的虐待状況にあることからきている。教師・親を抑圧的な存在と見なすのも不登校の子の要求・願いが親・教師のそれと対立しているためである。最初の課題は学校的な権威を否定し、彼/彼女の教師観を変える試みをとおして受け入れられる関係をつくることである。

しかし、教師自らそれをやるのではどうしても作為的になり、権威性を払拭できない。教師であることによって出会いを拒否される障壁は子ども集団に依拠することで乗り越えられる。

 

  • 担任の紹介とリーダー指導・話し合いのベース

小学校から不登校で入学式にも出席しなかった子に最初に取り組んだことは私の自己紹介の手紙を書くことであった。

手紙の内容は、「私という教師は誠実で思いやりがある。やさしく正義感があり、

責任感の強い信頼できる教師である。常に生徒のことを考え、生徒の意見を尊重し、しかも押しつけがましくない。それだけでなくユーモアがあり人間性ゆたかで包容力がある。授業も楽しく面白く深くわかりやすい。わからないことは丁寧に教える。まちがいを責めない。差別、えこひいきをしない。無視・いやがらせ・悪口・いじめを許さず、常に笑いのあるクラスをつくってきた。趣味はクラシック・読書・映画鑑賞。欠点のない最高の教師であると自負している」といった自画自賛の内容でまとめている。

書きあげたところでクラスに呼びかけ、自己紹介がこれでいいかどうかアドバイ

スをしてくれるメンバーを募る。これが初期のリーダーサークルとなる。班長会ではなくリーダーサークルに依拠するのは自主性・自発性を基本とするからである。

検討の観点は「私に安心感、信頼感をもつか」「会いたいと思うかどうか」である。「登校してくるようになるか」の目標は掲げない。失望感をつくり出すだけである。

 ポイントは子どもたちからどんなに批判されても余裕を示し、くじけず、滑稽なほどに自画自賛を貫き、さらに批判をあおること。そうすることでリーダーサークルの論議と修正は深まり多岐にわたる。学級集団には私の作成した自己紹介と修正された両方を合わせて提起し討論する。

教師の資質にかかわる論議は手厳しいが楽しく面白い。簡単には譲歩しないことで集団は言いたいことをいうようになる。その論議が教師の権威を崩し、かれらの望む教師像を明らかにする。そのうえ希望する指導も要求も明らかにできる。

不登校の子のプロフイールの説明などしなくとも無関心層を引きつけ、集団全体の課題となる。そして討議づくりのベースができていく。

 手紙の返信は求めず、次の手紙の内容もリーダーサークルで検討する。内容はクラスメートの紹介である。全員ではなく1班ずつおこなう。クラスメートに関心を持ち、受け入れてもらうためゆっくりと時間をかける。 内容は班員1人ひとりの肯定的な側面を主とし、後は自由。これを集団論議にかけるのは他者の評価により自己を他者化することが思春期葛藤を生きるかれらに欠かせない自立の課題となっているからである。

基本は肯定的な人間観の形成である。規律を規範化し、規律権力に主体的に従属するノンエリートの大量生産に欠かせないのが否定的な人間観であり、ネガティブな自己評価だからである。この後は教科担当教師の紹介と学習内容のまとめに入る。以上の内容を学級新聞としても作成し、保護者会でも活用する。デジタルカメラを駆使し、ビジュアルに作成する。はじめは私が中心だが、班で作成したり、班長会や部活中心にもなり、やがては専門部を立ち上げ、保護者も作成することを見とおしている。

 訪問を拒まれているのであれば急ぐ必要はない。訪問に期待がうまれてくることを待ち、親との話し合いの方法を考える。

 

  • 保護者との共同とケアとなるナラティブ

家庭訪問前に話し合いを設定し、教師のタイムスケージュールについて説明し、無理のない定例化を進めていく。長期にわたることを確認し合い、相互に支え合う関係を提起する。

親の心身は疲弊し、不登校状況を客観化して話し合うことは難しい。なんとかしてほしいという願いにあるのは無力感に陥りつつも自分しか支える者はいないという追い込まれた意識であり、見とおしの無さが不安と孤立感を深めている。

多くの母親は不登校を子育ての失敗と思い詰め、家族との軋轢に苦しみ、自分自身を責めている。不登校の要因を家庭外に求め、苛立ちを抑えきれず子どもに当たってしまうのも理解できるが、家族が非難し合う状況は心理的虐待状況であり、学校復帰を急ぐほどに事態を悪化させている。この状況を変えていくことが話し合いのテーマであり、話し合うことが親へのケアとなる。

親が我が子について語ることから話し合いはスタートする。それは子どもについて何も知らない教師へのレクチャーであり、親にとっては誰よりも我が子へのケアをしてきた当事者としての自己の再発見であり再構築である。父親が母親と同じスタンス、考え方、苦悩を共有することが軋轢の解消となりケアとなる。

 

話し合いは学びの共同化である。次の問いを父親に発する。「どうして不登校になったとお考えですか」「お父さんの考えは・・・」と。解のない問いであり、多様な解を導くことのできる問いだが考え方・とらえ方を明確にしなくては、不登校状況と家族の軋轢を対象化できない。難しいからこそ知的論理的に共に考え、学校の責任を負う私の考えを述べることができるし、何より親自身が日々悩み、考え、解き明かしたいと切望している課題である。

次に「どういう子か」を成育歴にからめて問うていく。母親の前に語ってもらう

意図は語りたくても語れなかったというか、語れる関係性にないことが多いことを踏まえてである。もし父親が不登校問題に背を向け、考えることを放棄し、ワーカーホリッカになっていたとすれば、そこに父親の葛藤があることを認め、弱さとして受容してこそ不登校状況を理解しケアにつながるものとなる。

・父親として不登校を受けとめきれず母親の子育ての問題として根拠のない非難を繰り返し、感情的な対応をしてきたこと。

・登校できない我が子への失望、苛立ち、不安を抱え、どう対応したらよいかわからなかった父親としての苦悩、あるいは考えることから逃避しようとしていたこと。

・子どもも母親も自分以上に苦悩していたであろうことへの理解。

不登校の我が子を受け入れ、認めてやれなかったことの悔い。

父親は語ることで我が子の不登校という現実を受け入れ、その現実に向き合うことが傷つけ・傷つけられてきた家族関係を修復することを理解する。その意味でよくつかわれている「出合い直し」とは新たな自分や他者を見出し、関係性の修復ということではないか。

 

  • 母親へのケア・長い生活史の物語

父親の語りを受けて母親が語る内容は子どものよさ・すぐれていること・誇らしいこと・認めてほしいこと等であり、子どもの得意なこと・やりたいことである。語りはいつしか子育てで苦労したこと・悩んだこと・笑ったこと・うれしかったこと等の長い生活史の物語となる。同じ内容を繰り返す語りともなるが子どもの生きてきた世界を重層化して示してくれる。

それがあってこそ母親から見て仲のよかった友だち・安心できる友だち・子どもが信頼している友だちのことに広げていくことができる。親として子どもの世界の再発見となり、母親の不安と孤立、不信に陥りがちな生活からの離脱の一歩となる。母親自身が親としての「自分」との出会い直しである。

「教育支援シート」がどれほど正確に詳細に記述されていようと、その活用が情報の効率性にある以上、出会い直しも再構成も期待できないし不可能である。

母親のこの長い物語を必須の課題とするのは、この成育歴の共有が親との信頼関係であり、なによりその子にかかわる教師の感性をつくってくれるからである。受容するだけでなく疑問を突きつけ、意見を述べ、そしてヘルプを引き出し、それに応える他者としての存立基盤となる。同時に不登校の子自身が自らに応答できるもう一人の自分をうながす共在的他者ともなれる。父子・母子家庭でもやることは変わらない。むしろ教師の働きかけを歓迎し協力してくれる姿勢には強いものがある。

 

  • 関係性の構築とコミユニケーション

 登校拒否・不登校の子とどのように交流していくのか、コミュニケーションをどうとっていったらよいのか、ケアしあう子ども集団の形成はなど課題は多く、しかも1人として同じ生活状況にない。それだけにここで提起する内容は一面的なものであり、一般化は難しい。それを押さえて検討してほしい。

 

  • 家の外へ、異なる空間に移動

家庭訪問でまず判断することは家の中に入るかどうかである。不登校が長期に及んでいる、親の疲弊が見られる、さらに子どもに従属しているような様子がうかがえる場合は極力入らないようにしている。そこには不登校特有の空間がつくられ、その空間を支配し、教師・学校・社会を拒絶しているからである。そこでは私の言葉は散逸し希薄になっていく。

身体を家の外へどう導くかが課題となる。そのための手だてをいろいろ考え試みるが、立案するのは私ではない。リーダーサークルにはかり、集団で論議する。「漫画を100冊ほど車に積み込み、運べないからと呼び出す」「ゲームセンター・漫画喫茶・ネットカフエに行かないかと誘う」「給食を食べ損ねたからフアミレスに付き合ってくれと誘う」「天気がいいから散歩しようと誘う」「近くのマックに居るからと呼び出す」「ドライブ、サイクリングに誘う」「自転車がパンクしたとか、転倒して動けない」「気持ちが悪く吐き気がする、迎えに来てほしい」「道がわからない、教えてほしい」等々取り組む意欲はわかないような案ばかりだが決して否定せず出せるだけ出す。そのうち論議は絞られていく。

ここでの狙いは出された案とクラス論議の経緯をまとめた手紙を届けることにある。次に家の外へ出ることを勧める内容とその意味をまとめ、学校以外のどこへ行きたいかを聞く。

敢えて給食の時や掃除・学活の時間に学校を出るようにし、集団の運営・管理を高めていくのももう一つのねらいである。一般的な課題としては家に引きこもりになっているからこそ外の世界へどう導くかが重要な課題と考えている。

 

  • 教師観の変化

外出の抵抗感のひとつに知人に見られたくないということがある。だから校区外に誘う。帽子・サングラス・マスクを事前に届ける。車に乗せたらロックを耳をふさぐほどの大音量で掛ける。これで教師観は一変する。もちろん、私のアイディアではない。こんな工夫、私の教師生活から出てくるわけがない。ヤンキーの発想である。  

ロックをクラシックにかえたい、常識を疑われたくないとかの反論は一蹴され拍手と声援のなか学校を出ることになる。また、給食の時間・学活・私の授業中にロックを聴くこともあり、スクールカルチャーに対抗するサブカルの文化形成でもある。

かつて学校崩壊状況のとき、つっぱりのメンバーをドライブに誘い、校区内にある西浦和警察署・さいたま地方裁判所を回ったことがある。警察署では近いうちにここでお世話になるかもしれないから係の刑事を紹介しておくとビビらせ、裁判所では人気のない通路を歩き回り、冷たい無機質な雰囲気の中、自然に寄りそう関係をつくったことがある。

実を言うと残念ながらこれも私のアイディアではなく、学校崩壊からの再生に向けてヘゲモニーを把握した女子グループからの提案である。いつだって子どもの世界を生きる異質な大人の案内人は子どもである。

 

  • 沈黙の空間

2人きりになると何を聞かれるかと構え緊張している。わかりきった質問をしてくるウザイ存在が教師である。だから会話をせず、沈黙が負担にならない空間をつくる。作文の束とテストの解答用紙をテーブルに出し、作業を始める。手持ち無沙汰になる彼/彼女には大型のバックに入れてきた漫画・コミック・詩集・小説・雑誌・写真集・辞書等とクイズ・数独・パズル・迷路・だまし絵・錯絵等を預ける。中には親からリサーチしていた興味関心のあるものを混ぜておく。そして数分後、私は疲れたふりをし、テーブルに伏せ、昼寝に入る。こう言っては何だが家庭訪問は学校を抜け出し休息をとる時間でもある。

余談だが不登校の子が登校してきたとき、歓迎パーテイと称してサンマを焼いて食べさせた同僚がいた。しかも調理室を使わず校庭で焼き、出張からもどってきた校長は苦虫をつぶしていた。クラスや班の独自活動として調理実習は各クラスの恒例行事である。家庭科の先生は大歓迎で、養護教諭・相談員、たまには管理職も招待する。猛暑のときに流しソーメンをやり、喝采を受けたのは元常任の田辺さんである。私服登校をさせた教師もいた。不登校の存在は秩序の縛りを解き実践の自由度を広げていく。

 

  • おしゃべり空間をつくる生徒

 次も沈黙とはいかない。ケーキとドリンクバー付きで1時間程度おしゃべりを続けられる生徒を1人つれていく。2人連れていって勝手にだべられたのでは目標を達成できない。だから1人とするが役割を自覚していれば2人でも3人でもいい。話題は何でもいい、全てまかせる。学級の様子・授業内容・行事などまともな話はすぐに終え、教科担任の評価(悪口)にうつる。クラスメートの危うい性格描写では小学校の卒業アルバムを見せたりしているからそれなりに準備してきたのだろうと感心する。アイドル・タレント・芸人の話と取りとめもなく広がっていき、あっという間に時間は過ぎ去っていく。いずれにしろ私は子どもまかせで、失敗したとしても私にはつくれない空間を生み出してくれることはまちがいない。

 大学教授を父親にもち、硬直した表情、硬い身体動作、小食でパンを食べるのに1センチぐらいに細かくちぎって食べる拒食気味の女子がいた。不登校傾向があり欠席の多い女子だが学力はずば抜けて高い。私が近づくと嫌悪感を示すようなので1メートル以内には近づかないよう注意し、コミュニケーションが取れないときにこそ班づくりはあると考え、特別な班を編成した。

大食漢で給食は人の倍食べ、大声を出し、意味もなく大笑いし、繊細さに欠けるが性格のいい男子3人との班である。3人とも手のつけようがない低学力だけに学力の高い女子を畏敬している。見とおしがあるわけではなく、何とかなるだろうぐらいの意図とうまくいかなければいかないで課題が見えてくるだろうと考えての取り組みである。実践はまたやりなおせばいいというのが私の集団づくり観である。実践は実験だと主張し、失敗が当たり前だといっていたサークルの仲間がいるが、私はそこまでは言えない。

女子は微かに笑うようになり、うつむきかげんだがときおり楽しそうに話す光景も見られるようになった。そのうち勉強を教えるようになった。朝自習の時間などに教え合う関係は遅くとも6月中にはつくられているし、この班のねらいの1つもそこにあったからうまくいった。

驚いたのは文化祭でクラス演劇に取り組んだとき、「私に仕切らせてほしい」と進行係に立候補してきたことである。照明・BGM・効果音を秒単位でパーフエクトに管理し進行しようとするが、男子3人が音量や照明をコントロールできないどころか進行表を覚えられないことに嘆きつつも寛容だった。私にも話しかけてくるようになり、「成績が落ちてきたので塾を勧められているから次のテストは気合を入れる」と言ってきたときは凄みがあった。

 180センチもある細身で長身の男子松田は目つきが鋭くこれまでに見たことのない尖った表情をしている。剃りを入れ、眉を剃り、爬虫類のような印象。まともに登校することなく、遅刻・早退・欠席がち。喫煙・飲酒・恐喝・窃盗などトラブルを常習化していた。学級開きの日に「てめえ、うるせ、タイマンはるか」と挑発してきたヤンキーの代表格。今思うと、この男子も不登校生徒といえるのかもしれない。

指導の見とおしが立たないときは集団の課題とすることで何とかなる。そこでつくった班が松田1人に7人の女子班である。班長はリトルチキンと異名をつけられている小柄な正義感の強い女子。班員にはおしゃべりの子や優しくおとなしい子の中に米穀商の娘で腕相撲ナンバーワンの女子を入れた。チャイム着席では米屋の娘を中心に女子7人が松田を引きずって教室に入れるのは見物だった。登校時には親たちの何人かが通学路に立ち「松田君、遅刻しちゃだめよ」とか「タバコ吸わないようにね」「しっかり勉強するのよ」とかの声かけがあり、松田はまいっていた。就職試験に向け言語不明瞭な松田に厳しい面接練習を仕切ったのはリトルチキンの班長で、ダメ出しを何度も出し、「てめえ、いいかげんにしろ、調子こいてんじゃねぞ」の強面にも怯まずやり直しをさせていた。

この他、過保護・過干渉の家庭に育った1人っ子の男子、委員長をやり野球部の中心メンバーである。時間通り家は出るが学校には来ない。この子の不登校に取り組むのに1人っ子だけを集めた4人の男子だけの班をつくった。私は男兄弟4人もいたから1人っ子というのがどうもわからない。この案は相当時間をかけて考え踏み切った。「この子のために子どもはつくらない」と言い切る継母に1人っ子たちがグループとして抵抗し離脱できるかである。彼らがやったことは部活を欠席してのドロケイ、駄菓子を持ち寄っての誕生会、学習会と称しては集まりダベッテいたことぐらいだが何しろ楽しそうではあった。

 

昼夜逆転している子に生活リズムの大切さを説いても無視か悪くすれば嘲笑されかねない。

10数名の授業エスケープが常態化していたとき、追いかけ回して教室に入れることに疲れはてた経験がある。教室に入れば入ったで授業妨害をするなど徒労に終わった経験である。子どもたちに「冷笑され馬鹿にされ翻弄されている」と痛感したとき、「教室に入れ」という言葉は決して発しないと決めた。そのかわり空き教室を学年職員室にし、空いたスペースには炬燵を置き、毛布・タオルケットを用意した特別空間を創出した。机の引き出しには漫画・菓子・ジュースを詰め、言葉は悪いが猫や鳩を集める「餌付け」の発想である。

エスケープする保護者と話し合っていたとき、「朝食を食べないで登校している。給食も満足に食べていないようなので心配だ」という母親の発言からこの「餌付け」のアイディアが出され、話し合いは異様に盛り上がり、次々と意見が出された。エスケープする子を追うのは実の親がすること、声をかけなくてもよい、遠くから見守るだけでいい。そして親が我が子の落書きを消そう、吸殻拾いをしよう、廊下やトイレに唾や痰を吐き散らかしているから掃除をしよう。教室・廊下・トイレに花を飾り、花壇も正門も花々でいっぱいにしよう。最後に調理室で料理を作りパーティを開こう。

当時1990年代後半、「何でもあり」といわれた新しい荒れの最中、弁当持参、制服・ジャージ・教科書持参で登校してくる親に、「お母さん、もう来ないでよ。たのむから、もう大丈夫だから」とささやいているのを聞いたときは、「なんだ、こいつ、こんなに優しいやつだったんだ」と感動した思い出がある。教室で横になっているヘッドスキンの息子に、「わずか半年の荒れで、自分を、夢を希望を捨てていいのか」と真剣に語っている父親の姿にも心を動かされた。

昼夜逆転の生活を授業エスケープと同じようにはできないが発想は近い。やったことは夜明け前のサッカー、バスケ、マラソンであり、深夜の運動である。まさか深夜に運動しているとはしらなかった。小学校からの通報でしった。中学生が真夜中に小学校のグランドで遊んでいると。

体育祭の種目の大縄跳び、ムカデ競争に練習時間も場所も取れないので登校前に練習してきた経験から発想された取り組みである。実態は女子数名も加わり不登校の子そっちのけで楽しんでいた。運動だけで盛り上がるわけがない。花火をやり、しかも危険なことにロケット花火を水平に飛ばし、悲鳴や奇声をあげていた。遊びは時間を選ばず、危険なほど面白い。何より身体的なコミュニケーションでつくられる関係性は解放という自立に必要な空間を形成する。

通報は無視した。長続きしないことが分かっていたし、不登校の子の親が心配そうに見守り、おにぎり、ジュースなどを配っている姿を見てはやめさせられなかった。

 

  •  無菌状態の部屋

小5年の3学期から登校拒否の女子。担任の40代の女教師の指導に反発。学級崩壊の状況で校長がサポートに入っていたとき、この女子が担任に「アンタ・・・」という言葉を投げつけた。それを聞いた校長が「先生に向かってアンタと言ってはいけない」と注意し、頭に手をのせたところ「校長が暴力を振るった」と親に話した。親は市教委から県教委にまで訴え、告訴すると弁護士をたて謝罪させた。結局卒業まで1日も登校しなかった。

中学校入学前に訪問することになった。「中学校には行きたいというので相談したい」と連絡が入り、委縮している校長と訪問した。周囲を圧するような門、豪邸、高級車、60過ぎに見える両親の1人娘。家庭教師をつけ、ピアノ・バイオリンを習わせているという。溺愛している、という感じ。全て一流のものを体験させているとか帝国ホテルでディナーがどうのこうのという自慢話は恐縮して拝聴している校長にまかせ、目も顔も身体も細い神経質そうな娘の部屋に案内してもらった。家庭教師について勉強してきたから学力は心配ないというので、参考書や問題集を含め学力を確認したいといったら納得した。

これが子どもの部屋か、豪華なうえに埃ひとつなく清潔を超えた潔癖、無菌状態の部屋、生命力の希薄な部屋、息苦しくなってくる。とっさに思いついた方針はこの無菌状況をどう崩し、乱雑にし、生活臭のある空間にするかである。

家の中で動物を飼うのが手っ取り早いが失敗もしていた。岩手県教祖の学習会に参加したとき、不登校の子に犬を飼わせた実践がとても心温まる報告となっていたので学年の教師に紹介した。子どもが不登校ということもあり、参考になればということで紹介したのだがこれがまずかった。犬のひっきりなしの鳴声、制御不能の行動、始末に困る糞尿、その他もろもろでパニックを起こし、急遽、同僚の田辺さんが引き取った。

犬は難しい。手間がかからず生命力を実感させる生物がいい。ピラニアを飼っている男子を担任したことがある。自己紹介の「自慢できること」のなかで聞いた。「生きている金魚が最高の餌だ」と胸を張ったまではよかったが、「残酷」「人間じゃねえ」と非難の嵐にうちしおれた。ピラニアには興味があったがだめだろう。人間性を疑われる。たどり着いたのが鼠と小鳥。理由は手がかからない、小さい、かわいい。

入学式を欠席したので訪問し、懸念していることを話した。何もかも与えられるばかりの生活では自主性・創造性が育たないとか彼女の部屋は清潔すぎて免疫力がつかないとか、このままでは汗臭く埃まみれで成長期の動物臭のする中学生の教室では呼吸もできないだろうとかの話をしていったら承知した。

その後も不登校は続いたが飼い始めたハムスターは超肥満になっていてよろよろとしか動けない。ジュウシマツの周辺は餌が飛び散って、鳥小屋は糞だらけ。何より彼女のヘアが乱れ、ハムスターほどではないが少しふっくらとし、表情に柔らかさが見えた。

次は習い事を減らしていくこと。習い事が多くてどれもこれも中途半端になっている。そのことが彼女の自信の無さであり、また自分に満足できないことが他者への攻撃になっていると指摘した。

娘と興味も関心も合わず、話もできず、理解できない反抗に直面していないわけがないと推測し、思春期を生きる子のトラブルにこそ自立への葛藤があることを語った。特に父親に対する反抗は思春期の女子が父親との関係を再構成するプロセスだと説明し、いろいろな例を語った。父親と口をきこうとしない事例が最も多いこと、父親が帰宅すると顔も見ず部屋に行ってしまうこと、父親の後には風呂に入ろうとしない、洗濯も別々にする、外食も旅行も拒否し、その費用を寄こせという女子もいた等々である。ときおり深刻な表情になっていたから、思い当たることもあったのではないか。

中学校に通うのだから意欲のわかない習い事はやめていいという父親の話に彼女は喜び、父親はこれから大事なのは自由な時間と友だちだと強調した。

私は彼女を迎え入れるために農園グループに話をつけ、そのうえでトマトやナスなど農作物を育ててみないかと誘った。農地を広げる作業で人手が足りない、小作人として雇うから見に来ないかというリーダーのメッセージを伝えた。使いものにならなくとも農奴として面倒見るといっていると話すと笑い転げていた。

放課後、母親と一緒に現れたのには正直慌てたが、グループのなかの1人が小5のとき仲良しだったという関係にゆだねた。子どもの関係はなるようにしかならないし、教師がコントロールできるものでもない。むしろ大事な指導の1つにトラブルや困難をつくり出し、対立し、葛藤を深め、失敗と挫折を繰りかえすような指導構想があってもいいし、そこに子どもの発達権の行使があるのではないかとも考えている。

 

  • 手袋をしたまま手洗い

不登校の子だけでなく一種独特の「儀式」を持つというかつくりあげている子がいる。着替えに30分もの時間をかける男子、学校にいる間チュウインガムを噛み続けている女子、マスクを外さない子、黒い手袋をして登校してくる子、ナイフを持たないと外出できない子、ブッコロシテヤルとつぶやいている子、授業中上半身裸で徘徊している男子等々いろいろな子に出会ってきた。授業中手の甲に画鋲を植えつける子さえいた。2014年新潟大会の中3の集団づくりの分科会(研究全国委員・関場公一氏のレポート)には瀉血をする女子の報告があった。

精神科医は強迫障害とか対人恐怖・人格障害発達障害、場合によっては統合失調症などの診断を下す。これだけではない。自閉症スペクトラムADHD愛着障害などがあり、その症状と環境の分析、対応を学ぶことが主な子ども理解になっている。かつて校則の人権侵害については弁護士と共同したが、今日の子どもの状況は精神科医やカウンセラーとの共同を不可欠とし、その援助なくしては子どもの前に立てなくなってきている。

しかし、精神科医やカウンセラーは本人や家族が来診し、相談に見えることを前提にして成り立つ業務である。実践家はそうではない。待っているわけにはいかない。引きこもっている状況や理解できない行為に見とおしがなくとも働きかけをしなくてはならない。

「家族は敵だ」と作文に書いてきた男子で、授業中は石のように固まってしまう子がいた。休み時間のたびに黒い手袋をつけたまま手洗いをする。欠席が多く遅刻の常習、体育は見学、もしくは教室を出ないか早退。クラスは薄気味わるがってかかわりを避ける。

班を編成することが無視・差別・排除をつくり出す事態となっている。机を離し、口をきかず、露骨に嫌悪の感情を示す。ますます手洗いがひどくなる。同僚は強迫障害や人格障害についてアドバイスをしてくれ、精神科への受診を勧めるがどのように関係性をつくっていくかとなると見守ることしかないのではないかとなる。精神科への受診は親からの相談がない限り話題にしない。欠席がちであっても自傷行為がなく、登校の意思がみられる限り勧めない。

理解できない不安からくる差別・排除を克服するにはクラスの論議を具体的な援助として何ができるかに絞り、行動することを課題とした。支援の行動は排除していることに罪障感を抱き、理解できず何もできないことから自己疎外感に苦しんでいた自分を取りもどすものとなる。困難さを理解できるほどに、共に状況を変えようとするのが子どもの世界の正義である。

手洗い後に渡すのはタオルよりハンカチのほうがさりげなく渡せていいとかカラーをどうするか、手渡すのは男子がいいか女子かなどの話し合いをする。手洗いがすんだら新しい手袋を渡し、洗った手袋はベランダに干す。石鹸はハーブの香りのいいものを用意する。タオルの色は赤とする。彼は血を流しながら学校に来ているからという意見。手渡す手袋ははじめ黒を手渡すが次は青・緑・黄色で選んでもらう。机を離さない、あいさつを交わし短い会話をする、一緒にやる作業をなどをつくる。

どうして黒い手袋なのかは理解はできなくとも彼が苦しんでいることを受けとめようとする集団の変化は見られるようになる。

彼にとっての手袋は抑圧し排除する過酷な世界から自分を守るための具象物であり、外界へ自分を押し出すための拠りどころとなる具象物であるのかもしれない。それは手袋ではなくナイフでありマスクであったかもしれないという解読の論議は必然性をもって討議づくりのテーマとなる。

解読の課題は増えてきている。不登校の子が役員決めのときにだけ登校し、学級委員長や実行委員・班長に立候補し、役に就いたにもかかわらずまた不登校となるケースや体育祭や修学旅行などの行事には参加するが、その後不登校状況を深刻化するケースもある。家族や周囲はこれで不登校を克服できるかと安堵し、期待するが、本人は私たちの想像以上に集団生活に疲弊し、学校生活は無理だと思う自分自身に失望しているのかもしれない。

しかし、役職に立候補し、行事に参加する行為には今の状況を変え、不登校の自分を変えたいという願いがあり、その意思表明である。それを尊重するには「休む」ことを権利行使とする価値観を集団の課題とする取り組みが4月当初から求められる。宿題・給食配膳・掃除の免除や集団ゲームの不参加も同調圧力の克服や異質を容認できる集団の形成としつつである。そして不登校にあるスティグマを払拭していく。

ケアの倫理は危害を加えない、危害を回避することを主な価値観とするが、登校拒否・不登校状況のセフティネットを具体化する価値観でもある。

 

8 集団の課題

 先に集団の課題とするということは個人を変えることを目的とするのではなく集団を変えることを主な目的とするというように述べたが、補足するとひとりでは対象化が困難で内向させていく課題を集団が共有することによって他者に開いていくことととらえている。課題にもよるが登校拒否・不登校問題では固定された特定の関係性が引き起こす心理的な軋轢・葛藤を外界に開き、非言語的コミュニケーションの世界へ導いていく集団の形成となる。

 

⓵ 家族の軋轢と自立

 不登校の子の親への反発・反抗も含め多くの子どもの思春期葛藤にある親からの自立の契機に対立・軋轢が不可欠であるかのような論述がみられる。実践分析においても親の保護的な観念からの自立の契機として反抗を肯定的にとらえる意見が多く、自立における親への反抗以外の自立の契機・すじ道を提示できていない。

問題は親への反抗が家族関係に内閉され、集団の課題として共有されないと自立の契機どころかモラルハザードにつながり、人間性を損傷しかねないところにある。指導や要求を自分の存在を否定してくるかのようにととらえ、正しいことを否定しないことには受け入れられない心的傾向を示し、さらにネガティブな関係によって自己を確認するという転倒した自我形成が関係性を損壊し、自立を阻害していく。

 しかしこれらの問題の多くは総中流社会という幻想が流布され、小子化が進行し、家庭以上に過保護・過干渉の学校化状況のなかで労働が不可視化されてきた時代の現象ではないのか。近年の親の派遣労働の不安定さや長時間過密労働、母親のダブルワークなどをとおして新自由主義社会に疑念を抱き、その矛盾を貧困問題としてとらえているのが現代の子どもである。

 今日の自立の課題、及び契機を親との軋轢・対立に見出し心理的な課題とするだけでなく、親の生活・労働の実情を可視化し、仕事の厳しさとともにやりがいを理解し、親の生き方を自己の進路に関連させ、家族の支え手となる自覚化に求める。

貧困化は社会的な関係性を閉ざし、生活の不安を増幅することによって自己責任論を刷り込み、共同性を阻害する資本制のイデオロギーであり、その具体化が貧困化を必然とするネオリベの不平等社会であることを認識の課題としていく。

具体的な実践課題は親への不満・要求・願いを公的な課題として集約し、父母集団に提起する。父母集団はその要求を検討し回答する。同時に子どもへの要求や親としての願いを突きつけていく。当然質疑から討論に発展していく。ときに正論に対し家庭の事情を暴露することで反論するルール違反が出たりしてバトルに近い混乱をきたすが集団はユーモアで乗り越えていくちからをもっている。それが討論の自由さがつくりだす集団のちからであり、文化となる。

議長は子どもと父母代表の2人がつとめ、私は記録・カメラ・お茶・お茶菓子を担当し、最後のまとめをする。まとめはほぼ全面的に親を支持して終える。集団づくりの歴史では古典的な課題だが今日の家族の閉じられた心理的な関係性にあっては家族の出会いなおし、関係性の再構築、自立の集団的な課題化として検討の意味はある。

少年期の決別には傷ついた自我の経験があり、思春期を生きる子どもの葛藤には

保護からの離脱と権威への否定を踏み台にした新たな世界への旅立ちがある。

 

② 依存症の問題

 登校拒否・不登校問題のひとつにスマホ依存症・オンラインゲーム依存症の問題がある。文科省スマホの学校持ち込みを禁止とする方針から容認に転換したが、自治体によっては条例化してスマホの使用を制限するところも出てきている。昨年の基調ではネットのいじめ問題として取りあげたが、ここで論議したいことは依存症の問題が集団づくりに突きつけてきている脱構築の課題である。

オンラインゲーム依存の極端な事例では24時間以上、時間の許す限りどころか体力の続く限りやり続け、家族の心配を干渉として拒否し、個室に閉じこもり、食事さえ満足に取らないという。生命にかかわることであり、無理やり取りあげるだけでなくたたき壊し、修復不能な家族関係が親の悲鳴とともに訴えられてきている。

依存症を家族の問題とし、個人の努力で克服するのが困難なことはすでに明らかである。自治体の条例化も具体策がないのでは役に立たない。アルコールホリックや薬物依存症の人たちの活動が示していることはセルフヘルプグループの存在であり、エンパワーメントの形成につながるナラティブ・セラピーである。またべてるの家当事者研究も重要な指針を示してくれているが学校実践としてどこまで可能なのかは未知数である。

共通することは当人の「語る」「物語る」という行為とそれを支えるシェアの関係性が自己と現実を再構成することで確立されていく当事者性であり共同性である。集団づくりにとって避けることのできない課題となってきた依存症問題はこれまでの子どもの声を聴くという指導性に内在している権力性を批判し、横並びや寄りそうというスタンスからケアの非対称性を課題とした対話の追求である。

その子の依存症について何もわかっていない・しらないことを自覚して依存症に苦悩する子どもに向き合うことが求められる。何もわかっていない以上、子どもを導き手として依存症問題の理解をすすめていくことになる。そこでの対話は子どもの語りを開き、子どもは語ることによって依存症の現実を対象化・外在化していく。  

この子どもの語りを導き、語る世界をどう構築していくかが課題となる。子ども集団にとっては同時代を生きるものとしての課題化によって依存症をシェアする共同性を追求することとなる。子どもは他者を語ることによって自分を語る存在だけに集団の課題とすることは彼/彼女自身の課題とすることに他ならない。

 

9 当事者主権の確立 -べてるの家当事者研究からー

当事者性の尊重は逸脱行為やトラブルを起こす子、登校拒否・不登校の子を客体

化し指導や集団の取り組みの対象とするのではなく、彼/彼女たち自身が自分の問題を対象化して解読し、必要とする指導・支援を明らかにし、具体化する実践となる。そうした転換を打ち出したのがべてるの家当事者研究にもとづいて、当事者性の尊重をテーマとした昨年の岐阜大会の基調(12019年)である。この転換はこれまでの実践を批判的に検証すると同時に子どもの権利条約を実現する具体的な指導論・方法論を追求することになる。

具体化には次の課題を検討する必要がある。

・問題をかかえた子を取り組む対象として客体化する指導観の転換。

・課題をかかえた本人自らがその課題を対象化・外事化すること。

 問題に苦悩し、葛藤を深めている子どもに、その問題をどう対象化させるかはこ

れまでも試みられてきた。葛藤の構図を示し、葛藤を読み開き、理解する言葉を獲

得していった実践である。しかし、そのプロセスで当事者性を尊重し確立すること

を主な課題としてきたかは疑問である。

べてるの家当事者研究では重要な作業として「最初に取り組むのが問題と人と

を切り離す作業」であり、その後「苦労の意味や状況を反映した病名を自分でつける」という。しかし、学校から排除された結果として他者の介入を拒否する不登校問題にそのまま応用することはできないだろう。課題を対象化し自らの研究テーマとすることで当事者性を確立していく考え方と方法を不登校の子に試みるには検討を要する。なぜ不登校なのか、自分自身を理解できないことに苦悩し、にもかかわらず不登校にある自分をわかってほしいと切望し、同時に応答する他者の不在に絶望しているからである。

しかし、「登校したいのに登校できないため、孤立し不安な気持ちを抱えている問題」「学校に行きたいのに行けないため、昼夜逆転の生活となり悩んでいる問題」「家族への暴力を止めたいのに暴力を振るってしまう問題」等をべてるの家当事者研究と同じように登校拒否・不登校の児童生徒と問題を切り離すことが可能になるとしたら、さらにその問題状況にネーミングし、その問題を自ら分析・研究できるよう対象化できるとしたら実践状況は一変する。

 かつて問題をかかえた子を「ありのままに受け入れる」というテーゼがあった。

そのような集団を形成することは不可能であり、教師にしても無理なことと思って

いたが、「ありのままに受け入れる」とは集団や私たちの側の課題以上に、実は問題

をかかえている子が受け入れることのできる集団とはどのような集団なのかを追求

する課題とすることで理解することができた。

登校拒否・不登校問題も同じではないか。先に不登校問題は不登校の子自身の問

題ではなく学校が排除している問題だと述べたが、これは教師の不登校観であり、ストレートに子どもに押しつける課題ではないと強調した。当事者研究の視点からすると、学校を拒否しないことには生きられない当事者の状況を受け入れ、そのことを前提とするところから登校拒否・不登校問題を話し合うことで否応なしに排除の問題をテーマとすることになる。

 ここではじめて「なぜ不登校になったのか」の解明が教師・親の課題から子どもに移行し、学校制度を問題化することになる。従来の学校復帰、登校督促と変わるところは、問いを「どうしたら登校拒否・不登校になれるか」とする当事者性におくからである。この視点はべてるの家摂食障害研究班の「どうしたら摂食障害になれるか」という研究テーマの設定から借用した。

「どうしていじめをするのかからどうしたらいじめることができるようになれるか」「どうしたら差別をすることができるか」はまだ課題として投げかけられる。しかし、「どうしたらいじめられるようになれるか」「どうしたら差別されるようになれるか」には踏み切れない。

しかし、自立の根拠地となるピアグループの形成を目的としたとき、この問いは

生きてくる。安心して一緒に居られる、信頼できるという生徒は課題を共有し追求する関係性によって出現してくる。躊躇せず集団に投げかけ、呼びかけ、応答を待つ。そしてこの問いを話し合い、この問いで彼/彼女の人と問題を切り離すことができるかということを話し合う。さらに外事化するためにどうするかを課題とすることで、その考え方を学び、取り入れる。スマホ依存症の問題もこの視点から依存症の問題と個人を切り離す作業を実践課題としていくことは可能であろう。

べてるの家当事者研究の話し合いに学びながら集団づくりは新しい話し合いの方法を追求し、自治の課題とする。

 

残された課題

 弱者の暴力の解明、アソシエーション論による中間集団が国家権力から個人の人権の維持・拡大にはたす役割、ゼロトレやスタンダード、成果主義の評価などによる環境介入(管理)権力に抗する実践の展開など残された課題は多い。登校拒否・不登校の増加だけでなく虐待も増加傾向にある。

ケアの倫理による修復的正義の実現とケアコミュニテイの形成を埼生研の研究課題とし、その集団観・人間観・自律観の具体化が急務の課題である。

 

  •                ※

付記⓵

 よもやzoomによって基調学習がおこなわれることになるとは考えもしなかっ

たが、zoomによる新しい学習スタイルの可能性は過日の河又さんの実践分析の呼びかけとその成立が証明している(8月14日の午後に提案され、翌日午前9時から実施)。秩父・久喜・新座などからの参加があり、全県に広がっての学習が短時日に1人の手によって組織される時代に入った。会場の確保も設営もその費用も移動時間も考慮する必要がなく運営されていく。しかも参加自由のうえに退出も自由。分析討論も活発で従来のそれと変わらない。高原さんはこれこそがサークル本来のあり方だという。

 サークルや支部活動はどう発展していくのか。新たなメンバーシップの学習組織が形成されていくのではないのか。しばらくは従来の活動と並存していくのだろうがzoomによる学習に傾斜していくのは時代の要請として確実と思われる。その広がりは近い将来サークル・県支部にとどまらず全国を視野に入れた学習運動となっていくのだろう。

 長い旅の終わりが見えてきた先に、新たな地平を切り開いてくれた埼生研の仲間に感謝します。

 

付記②

昨年の基調は読みにくいということから「呪いのメッセージ」(高原史朗)などと言われました。今年は少しでも読みやすくということとzoomでの学習ということを踏まえ、本文に事務局での論議をメモとして紹介することを試みましたがやめました。渡辺雅之さんは「登校拒否・不登校問題に取り組む意味は現代社会が排除と分断を深刻化していること、その修復の実践が登校拒否・不登校問題に取り組む意味であり、連帯をつくり出すものとなる」との趣旨で発言。発言内容を文章に起こしたのでは膨大な量になることからあきらめました。また、「集団づくりの脱構築」は何を課題としているのかという質問もあり、基調の中で説明しようとも思いましたがテーマにかかわるだけに論議を深め、次につなげられたらと期待します。

 

参考文献

「学級集団づくり入門 中学校」全生研常任委員会編 明治図書 1991

「フエミニズムの政治学」岡野八代 みすず書房 2012

「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン みすず書房 1999

べてるの家の『当事者研究』」浦河べてるの家 医学書院 2005 

「降りていく生き方『べてるの家』が歩む、もうひとつの道」横川和夫 2003

「当事者主権」中西正司・上野千鶴子 岩波書店 2003

「15歳、まだ道の途中」高原史朗 岩波ジュニア新書 2019

「中学生を担任するということ」高原史朗 高文研 2017

「いじめ・レイシズムを乗り越える『道徳』教育」渡辺雅之 高文研 2014

「子どもから企画・提案が生まれる学級」関口 武 高文研 2015

「教室の扉をひらく」埼生研常任委員会編 雄文社出版 2007

「子どもの自分くずしと自分つくり」竹内常一 東京大学出版会 1987

「登校拒否・新たなる旅立ち」横湯園子 新日本出版社 1985

不登校を乗り越える」磯部 潮 PHP新書 2004 

「ナラティヴの臨床社会学野口裕二 勁草書房 2005

スマホ廃人」石川結貴 理想社 2017

「インターネット・ゲーム依存症」岡田尊司 文春新書 2014